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雨と風の晩に、私の身体を潤したもの

 よしもとばななの『キッチン』を読んだ。

 私には、タイトルはもちろん知ってるけど読んだことのない本や漫画、観たことのない映画やアニメってたくさんあって、私はそれが結構大きな恥だと思っている。映画『スタンド・バイ・ミー』は大学二年になってようやく観たし、フランクルの『夜と霧』は最近読み始めたほどなの。小さい頃からいろんなものを吸収したりさまざまの感受性を身につけることはいいことだし、観た・読んだという事実だけでもあるのとないのとでは全然違う。多くの人に親しまれている作品は年齢や性別、時には国境を越えて共通の話題になれる。観てない・読んでないというだけで、私が深く捉えすぎなところもあると思うけど、常識が欠けているとか思っちゃうし、恥ずかしいなといつも思う。だから「読んでない」って言う時、いつも口ごもる。

 だから、よしもとばななの『キッチン』なんかは、もっと早く読んでおけばなと、思わなくはなかった。12歳というのを私はとても大事な年齢だと思っていて、その時に読んでいたかったなと...。なんでも吸収できた時だったしそれは現在の自分に大きく影響を与えていると思う。

 でも、タイミングというものがある。

 内容がよかったとか、「読んだ」ということだけでなく、その時に読んだことがとてもよかった、ということってあると思う。今回のはまさにそれであった。もう感動こんなことを誰かが書いてくれていたということ、そしてそれを今読めたということが、嬉しいし、なぜか身体が潤った。

 私は今どん底にいる。ほんとうに元気がない。この先も同じことを思うことはあるかもしれないが、少なくともこれまでの人生の中ではもっともエネルギーがなくて何もできない。そういう時に、孤独になった人が動きだすというか、道を見つけていく過程を丁寧に描いているこの作品に出会えたのは、すごく嬉しかった。読んだから私もすぐに元気になれるというわけではないけど、悲しいとか力が落ちているということや、でもいずれ癒しとか自分なりの道を見つけることってどういうことなのか、どういう過程で人が変化していくのかがとても瑞々しく描かれている。

 言葉にしたら陳腐になるみたいなこと、どこかに書いてあったと思うんだよね...。まさしくそうしてしまった。あんな美しい文章、人間の精神を、こんな私が濾過して自分の言葉で纏めるなんて...。もう、この回はこれでお終いにします。よしもとばなな氏は他に『とかげ』を読んだことがあるけど、早く他のが読みたくなりました。今Amazonで探したんだけど『みずうみ』という作品にしようかな!

 『キッチン』の中の雄一、いいなぁ.....

 

 

 

 

 

 

長年の謎

 お父さんがトイレにいるときは、トイレの中だけ別の世界なんだと思う。

 私の父は、長い時間トイレにこもることがよくある。ほとんど毎日だろうか。休みの日は三回くらいあると思う。不思議なのは、声をかけるとすぐに出てくること。本とか雑誌をいつも読んでいるみたいなんだけど、なんで部屋に戻らないんだろう、足痺れるよね?といつも思っていた。他に使う人もいるのに、意味が分からない。

 でも、最近、私も本だったか雑誌だったかを同じようにトイレの中で読んでいて(父ほど長時間ではない)、なんとなく長居してしまう理由がわかった気がした。鍵が閉まっていて他人が入ってくることがまずない。あと、携帯をも持って行く時もたまにあるけど、本や雑誌を読む以外にすることがない。それから、音がない。何と言うのか分からないけど照明の音、それからウォシュレットの音がずーっと続いているだけ。集中するのにちょうどいい騒音である。そして、あの狭さ。

 あそこは、読むものによってどんな空間にもなる、特別な空間なんじゃないかと思うようになった。

 なんか、宇宙みたいな。狭いのに、すごくのめり込んでしまって、広大な自分の世界になるような感じがする。一つの世界が広がるのは自分の部屋でも同じなんだけど、なんでだろう。私は集中力がなくて他のものに手を出してしまうからかな。大学受験の時に高校の先生から、トイレの中は、ものを読んで内容を頭に入れるのに最適な場所であるって聞いたことがあったのを、今思い出した。狭い読書室が欲しくなる。

 そんなわけで、本人がどういうつもりで長居してるのか分からないけど、お父さんがトイレにいるあの空間でどんなことが起こっているのか、私なりに想像ができるようになったので、お父さんのトイレ滞在に関しては、少し寛容(?)になった。しかしながら、彼は出たあと電気を消し忘れることがよくあって入っているのかいないのか分からなくて困るので、ちょっとまだうーんって思ってはいる。