読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

詩的言語の方が切実で近くて力が抜けて心地いい。誰にでも、同じように意味が通じる文章でないといけないのは、もう学校を卒業したんだから、終わったんだ。論理に飛躍があったって、矛盾していたって、「〜〜だけど〜〜じゃない」みたいな言い方だって、いいんだ。これに気づくのに20年以上かかったよ。実践できるのはもうちょっとだけ、先だと思う。

だって、読んだ人に分かりやすいように、と心がけることをやめるのはすごく大変そうだから。でも二つを兼ね備えた文だって作れるはずだ。

それとも、「よく分からなくても面白がってくれる人」を頭の中に作ってその人に読んでもらうつもりで書けばいいのかな

君はあの部屋で

君があの音楽を流してあの匂いのなかで、あの部屋で過ごしている。朝は朝日を浴びたりまだ暗いから浴びなかったりして起き上がって出かけて、そして夜は冷えて帰ってくる。独り言を言ったりあくびをしたり濡れた髪を乾かしたりして、あの部屋で過ごしている。そのことがうれしい。あの、灰色の部屋。暖かかったのに、思い出すとつめたい。今日も生活してるんだなと思うと、体が満たされる。

23年

親に対する恨みがたくさんあったことに今さら気づいている。

親は私に関心を持っていると実感しないまま、私は大きくなってしまった。その後どんなに償うように話を聞こうとしてくれても、「罪悪感からやってるのね、はいはいもういいよ」と思ってしまう。

専業主婦だったら、家に帰ってきた子どもにあれこれ話を聞くんだろうと思っているけど、どうなんだろう。そりゃ監視されたくないしやたらと気にかけられるのもいやだ。毎日あれこれ聞かれるのも望んでいない。でも私のことなど誰も関心がないのだと思ってしまって、それは子どもにとってよくなかったのではないかと、とても思う。

例えば、その日私が学校で何をしてどう思ったのかとかを聞かれたことがほとんどないから、話さなくていいやと思ってしまう。兄はあれこれ自分から話すんだけど、どうしてなのかな。それで大きくなったから、何も話せない人になってしまった。

中学生のときのことだ。ある日習い事の帰りに、人身事故で電車が止まってしまっていたので、母にメールした。「〜〜線で事故があったみたい!電車止まってるから遅くなる」。返事は全然なかった。よく覚えてないけど、他の路線で帰るか迷っていたが、しばらくしたら動き出したのでいつも通りのルートで帰った。帰るのは1時間くらい遅くなった。いつも同じ時間に帰るのに。心配してほしかった。家に着くと、家族三人でお昼を食べている。普通に、おかえりーと言われる。

小学生のとき、習い事に行くのを父に言わずに家を出たことがある。帰ってきたら母もいて、「出かけるときは一言でいいから言いなさい」と言われた。他には、親はいつも家にいなくて、家に帰ってきて「ただいま」を言う習慣もなかったから、たまたま親がいるときに無言で帰ったら「帰ってきたらただいまくらい言いなさいよ」と言われたことがある。これが未だに許せていないことを最近自覚した。

出かけるときは「どこそこに行ってきます」と言う、帰ってきたら「ただいま」と言う、これが当たり前でない家庭だったのだ。いま考えてみればおかしい。そう言う必要がない状況にさせた両親が、ひどいと思った。

大学生になってからはもっとひどくて、家に誰がいて誰がいないのか、それぞれが把握していないことが多かった。私の帰りが深夜でも翌日でも、母には何も言われない。たまに軽く言われるだけ。

あなたはそのまま、そこにいて

口紅は、手に入ったときにはもう死んでいる。

店頭で見かけたとき、買って帰って家で眺めているとき。それが楽しいのであって、あのディスプレイから離れ、パッケージやケースから出て、口紅が「唇に付いた色」となったときには、もう、つまらないのだ。口紅には、手に入らないでいてほしい。店頭でキレイに並べられて「いいなぁ、持ってみたい。でも高い」って思うだけの対象のまま。それが口紅の価値なのだ。

私も口紅をいくつか買ったことはあって、まあ今数えたら二つしかなかったけど、一つは安いものだ。もう一つは、アルバイトを始めるからと奮発して、3,000いくらも出して買ったもの。色がピンクすぎて(多くの口紅はピンクだ)使いこなせなくて、あんまり使っていない。少しでも使い慣れてしまうと、「私が欲しがった口紅じゃない...」と思えてくる。そういうことを分かって以来、もうかわいそうだから自分ではしばらく買ってないんだけど、母が最近立て続けに私にお下がりをくれる。

手に入れたいと望むことなく、ふと手元にやってきたあのいくつかの口紅は、私にとっては口紅ではない。

 

 

お前は勝手にそうやって生きてろ

僕たちは合わない者同士だったんだよ。それをお前がずるずると引き止めていただけの事。僕は面倒になって、感情を持つことも抵抗もしないようにした。ここを直すから、そしたら一緒にいてくれるよね、という言葉を何回も浴びられたけど、僕はお前の変えられない部分が、大嫌いだった。気が合わない、性格が真逆であることはとっくに分かっていたのに、それでも一緒にいたら楽しいでしょ、というのは気持ち悪い、無理な話だったんだよ。見えないふりをするんじゃない。相手には自分の分からない部分があること、他人は自分の思い通りにならないものだということが分かっていないお前。世の中には自分の知らないことがたくさんあって、自分の考え方やいままでの経験なんかでは到底思いつきもしないことが溢れているということを前提にできないお前は、お前が全く詳しくない分野についても、お前のクソみたいな言葉で表現されたそのくだらない、偏った見方と知識をまず持ち出して向かってくる。その傲慢さを僕はずっと前から知っていたし嫌いだったけど、指摘しないでここまできたよ。僕の言葉なんか浸透する筈がない。そうだろ。何にでも文句ばっかり言ってけなして跳ね返すお前が、嫌いだ。頰がカッと熱くなった。糞だあいつは。お前は大事にされたことがないから、人を大事にする仕方が分からないんだろう。それで何年も生きてきたお前に無償の愛を与えることなど不可能だよ。お前の周りのそいつらも、仲が良いんじゃなくてそうやって自分のために利用してきたよな。自分がくだらないつまらない奴だってことを庇うように、足を引っ張りあってさ。「だから〜〜な奴はクソだ」、って言っていまは自分を守ってるんだろう。勝手にしてろ。元から差別主義者で男尊女卑だったよな。自分の論を強化するために都合よくものを見ているだけ。お前が「そんな奴」に時間と金と労力を費やしてきたんだよ、分かるか。お前が「選んだ」奴は「そんな奴」だったんだよ。言ったよな、「お前が選んだんじゃない、俺がお前を選んだんだ」って。何だよ選ぶって。

女の人の脚、足が好きだ。見られたくない仕草、きっと誰も見ていないであろうと思ってする仕草を見ているのもとっても好きで、おもしろい。

 

いつだったか電車の中でいいものを見たんだけど、今だにその映像を思い出して喜べる。

ストッキングにパンプスを履いた女の人が立って携帯をいじっている。一日ヒールで疲れたのだろう、パンプスを脱いで足の指を広げたり、指先を上にをぐーっと上げてふくらはぎを休めたりしているのを、私はじーっと見ていた。携帯に夢中でその人は私なんかに気づかない。

ストッキングから透けて見える足の指。目が離せない。どんな足の甲と指をしているのだろう。マニキュアは?やっぱり足とか指は痛いのかな、頑張ってハイヒール履いてたのかなぁ。帰ってくつろぐときは外反母趾を防ぐため指のあいだに入れるやつとか、やるのかな。

脱いだパンプスは、履かなければならない。どうする、履こうとしてるけどストッキングがするするとすべって履けない。かかとのところを踏んでつぶれてしまいそう、きっとその靴高いのに。ヒールが高いから、ぐらぐらして倒れちゃいそう...。降りる駅に着いてしまったので、私の記憶はここまでなのだ。

もし、その人が降りる駅に着きそうなのにパンプスが履けない!という状況だったらそれもおもしろかったけど、私に残された「いつあのパンプスを履けたのか」「なにを考えながら履いたのか」「もしかしたら電車が揺れてよろけて、周りの人に見られて恥ずかしい思いをしたかもしれない」という想像の余地や可能性は、とてもいい。

分からないことを残したまま、私は目をそらして電車を降り、ぺたんこ靴で帰っていった。疲れないから脱ぐこともない靴、おそらく靴下か黒のタイツだったから透けない足の指で。本当は好きな人に、あの女の人が私にされたみたいにまなざされてみたい。でも私が惹かれるのは、見られないだろうなって気を抜いてする仕草なのである...

 

あと足の甲の骨が見えるパンプスも好きだ。骨、ずっと見てしまう。パンプス用のあの浅くて脱げやすい靴下も、履くと厄介だけど見るのは好きで、世の女性たちの履くあれはどんどん脱げて困ってほしい。

こんな気持ち悪い文章を書く気になったのは、最果タヒさんの詩集とエッセイを読むようになったからだ。『夜空はいつでも最高密度の青色だ』のあとがきで、「あってはならない感情なんてないのにその感情を押し殺す、そういう人の姿が好きだ。人は自分がかわいいということをちゃんと知るべきだ」ということを言っている。『きみの言い訳は最高の芸術』の中でも、「人が嫌いな食べ物について話しているのを聞きたい。その食べ物に遠慮することなくどんどんけなしてほしい」と。

あんまり人に言えないような感情や、これを見聞きするのが好きだ!というものについて、どんどん書いていこうと思った次第である。

 

 

 

脇目も振らず

奥まで入り込むのがこわい。

自分がずっと話してる状態が不安で、一つのことについて深くまで話せない。思考についても同じ。他人についても興味津々であると思っているけど、本当は怖いと思ったらそれ以上踏み込んで聞けない。

一つのことに没頭していると、その間は他のことができなくなって、もしかしたらそこにすごく面白いことがあるかもしれないのに、それに気づかないまま生きていくのが、いやだ。そう思って、すぐ周りを見てしまう。

だから何にも特化しないまま、平均なものばかりで、私は生きてきた。脇目を振ってばかりだ。